つらつら

日々の記録

[映画]自分にそぐわなかった映画2020ふりかえり

今年も合間を縫って映画を観た。よかった映画の振り返りはまたゆっくり考えるとしてそぐわなかった映画についてちょっと書く。

『アルプススタンドのはしの方』

これは熱量の高い感想がたくさん目に入ってきて、もともと観る予定になかったけれど、面白いのかなあ、気になるなあ、映画の日で安いし行ってみよう、と出かけてみはじめてわりとすぐに「これは合わんなあ…」と思ってラストまでその思いをどんどん深くしていった映画です。

甲子園には何度も行ったことがあり映画内世界が「どうみても甲子園と違いすぎる」ということがまず大きなひっかかりでした。舞台立てにつまずいた。あと夏の甲子園なのにまったく暑さを感じないところでもつまずいた。甲子園の6月頃のデーゲームでも死にそうに暑く汗ダラダラで髪の毛がへばりつき、日光に目をやられそうになるのですが、8月の甲子園のはずなのに風にさらさら髪がなびく涼しそうな登場人物たちに違和感しかない。そう、私はこの映画作品世界の玄関をまたぐことができなかったのです。

玄関をまたいで中にも入れない自分は「スクリーンでなにか展開していってるなあ」とどんどん映画世界と自分の間の距離が開いていってしまった。孤独なガリ勉ちゃん(メガネ)が仲間の一体感をもとめる熱血教師に「どうして1人でいちゃダメなんですか?」(うろ覚えだけどこんな感じ)と反論するところがあり、ここは「おお、そうだそうだ!言ってやれ!」と思ったのですが、結局彼女も一体感のなかに吸い込まれていく…ああ、けっきょくそうなるの、とガッカリ。

美人で野球部エースの彼女でブラバンリーダーの女子が「まんなかだってしんどいんだよ!」(うろおぼえ)、というところも心底がっかり。自分のこと真ん中認定&呼称ですか、そうですか。

結局一点集約されていく感じがしんどかった。それぞれのありようがあっていいんじゃ。演劇だったらいいんだろうけど映画で観るにはしんどかった。あと熱血教師の役作りがワザとらしくてうざすぎてダメでした。映画オリジナルのエピローグはよかったよ。

『私をくいとめて』

これはすごくいいところと、違和感を感じるところが混在しててその差が結構際立ってるために自分のなかの落とし所が安定しない作品。

Aはしょっちゅう「わたしはあなたですからね」と言う。そう、自分の中に答えはある。答えはあるけど、そのように行動できない。やらない言い訳ややらない理由を探すのはうまい*1。その自己対話の様を映画で描かれると、まるで頼れるアドバイザーがついてくれてるように見えるけど、結局「わたしはあなたですからね」の一言で観客である自分はふっと我に還る。結局自分内対話なんじゃん、と。そこのバランスしっかりとれててよかった。へたするとイマジナリーフレンドみたいになっちゃいかねないからね。

イタリアに親友を訪ねていくと、彼女のお腹が大きくなってる。みつ子に「おっ」という表情がかすめるけど、一瞬でひっこめてその話題にあえて触れないまま時間が過ぎる。親友が結婚し、外国へ移住した、ということだけでも、すごく遠くへいってしまったような気持ちになってるのに、妊娠という更なる先の人生のステージを親友はどんどん進んでるようにみえてちょっとショックを受けたことがわかる。数日経って2人だけの時間を過ごしている時にやっと打ち解けて「あの時おめでとうといえなくてごめん」と言う間合いもよい。イタリアにきたみつ子が多田くんとラインのやりとりをするところ。炊飯器をはじめて使いました、との多田くんのメッセージに「うまく炊けたか」的なことを聞くと「旅行でスリには気をつけて」的な返信で「話を逸らすとは、自分で炊いてないのでは、誰かに炊いてもらった?」などめちゃめちゃ可能性のあれこれ考えてしまうところ。バリバリやりての女性の上司が既婚だと知り、「なぜか独身だと思い込んでた」自分に気づいた瞬間の表情。どれも「こういう微細なところ、なかなか映画で観ることができなかったやつ!」と多いに感服したのでした。

一方、みつ子が温泉施設にいってお笑いの余興を見る場面。これは「自分のなかに抑えてたジェンダー的地獄体験ボックスの蓋がひらいた」という瞬間を描きだしてとにかくしんどいしつらいシーン。切実で監督の思いがつまった強いシーンなんだけど、つよすぎるあまり、話の流れからすると無理くり入れ込んだような異物感が否めなかった。インタビューによると原作にはないエピソードとのことで、その異物感が腑に落ちた。みつ子の先輩がキザ男につくしまくるシーンも「なんで?」感が結構否めず。わりと普通に女性は男性に尽くす、というのがあたりまえのように描かれててそれもちょっと不思議だった。料理もお茶用意するのも水筒もっていくのも結局女性なんだよね。まあいまだに世の中それが当たり前で動いてるっちゃそうだけど。

君は天然色」が流れるシーンはとてもよかった、大瀧詠一は強いな。あとAが消えるところ。Aは結局自分でしかない。飛行機恐怖症も以前は自分で自分をなだめて安心させるしかなかったけど、物語終盤にいたって他人である多田くんが自分を安心させてくれる役目を担うよ、と言ってくれる。自分以外の人がA的役割を担うって、それって奇跡的なことなんだよな、と感じる。

こうやって書くと結局総体的にはいいところのほうが多い、かな。でも、もやもやのところが結構消えずにある。大九監督の次回作も観よう、どう変わっていくかブラッシュアップしていくのかとても気になる監督さんなのは間違いないな、と思うのでした。

 

*1:自分もそうなんで、書いてて自分の身を切り裂いているようにつらい…